一つの規格にそって数を制作したものを「揃いもの」あるいは「数もの」とよびます。手作業である以上「揃いもの」といえども、工業製品のように判で押したように揃っているわけではありません。一つずつ「揺らぎ」や「呼吸の違い」があり、焼きにも差異があるのが一般です。
川淵作品「揃いもの」は、「一点もの」のような自由さを求めて厳密な寸法どりをせず、手の動きに任せて概見で形を揃えていきます。いわゆる職人技的揃え方はしていませんが、のびやかなタッチと動きをお楽しみいただけると思います。焼きあがった数のなかから、作者の決めた規格に外れるものを除いたものが「揃いもの」作品となります。
一方、規格なしに一点一点自由に制作したものが「一点もの」です。「今、ここに、この形が成った」という作り方です。それ故出来はばらつきますが、個々の存在がくっきりとした、平均をはるかに超えた良品を得ることができます。この優良品のみを選びだしたものが「一点もの」作品となります。
いつからそう言うようになったのでしょうか。「陶器は、作り六分、使い四分」と昔から言うそうです。六割を作者が造り、あとの四割を使い手が育み作る、そういう意味だそうです。
云われるように、器の肌の色つやは使用によって経年変化します。釉薬の貫入やピンホールから茶渋などが素地に染み込み、あるいは高台の土が手ずれて、見違えるほど色つやが変わります。南蛮などの焼き締めは、使いこむほどに器肌が滑らかに潤い、色つやも深くなっていきます。伝世の名品に見る肌の調子や色つやは、何年何世代も使い込まれ、育て上げられた結果なのです。粉引の「雨漏り」などの見どころの多くは、育て上げられて生じたもです。
育てると云っても、それはゆっくりです。いきなり油ものなどに使ったり、お茶に浸したりして無理に育てようとすると、汚い汚れになってしまいます。先ずは水や湯になじませてから、ゆるりと普通に使っていってください。あなただけの一品に育っていくと思います。